1998年10月6日提出


発達社会学と言う、青少年と犯罪について学ぶ科目です。このレポートは、 教育に関する本を読んで、学校教育が青少年の発達に及ぼす影響について考察しました。 完成したのは提出直前で、もうあせりまくりです。




最近マスコミで騒がれている「キレる少年」。こういった少年達も現在の学校教育が生み出したものと言えるだろう。では、現在の学校教育は、少年達にどんな影響を与えているのであろうか。

藤田英典氏の「教育改革」では、中高一貫校と完全週五日制について糾弾している。まず中高一貫校だが、大学進学率の上昇とともに大学入試への早期取り組みがなされ、高校からの受験対策ではもはや手後れという認識が広く行き渡るようになってきた。そこで、中高一貫教育はその障壁を取り払うものとして脚光を浴びる。通常、中学時代は中学校の学習を、高校時代は高校の学習をする。しかし、その学習法だと大学入試のための学習を、こなす時間が減ってしまうのである。しかし、中高一貫教育校の場合、中学のうちから高校の学習を詰めてやれば、高校2年生までで中学・高校の学習は終了する。高校3年生では、大学入学のための学習に専念できるということなのである。これが中高一貫教育校のメリットである。

近年、私立高等学校には中学校も併設される傾向がある。また、その高等学校も大学や短大の併設校である場合がある。中学入試の重要性はそこにある。大学の付属中学校に入学すれば、高校・大学といわゆる「エスカレーター」で進学できるのである。それは、小学校時代に苦労をしておけば、その先の進路が安定するという親の考えであるが、実際に子供は中学入試の意味を把握していないの可能性がある。しかし、大学併設の私立中学などに入学したとしても、必ずしもエスカレーターで行くとは限らない。中学で入学できても、高校で挫折してしまう場合もあるし、高校時代に行きたい大学が生まれるかもしれない。そうすると、大学の併設校に入ったからといって全てがうまくいくとは限らないのである。それはただの保険に過ぎないだろう。なによりも子供自身の問題なのである。

中高一貫教育にしても、エスカレーター進学にしても、このような教育によって弊害がおきるということは無いのだろうか。たとえば、中高一貫校や私立中学に入学するための勉強を親が強制していること。これは小学校六年生ぐらいでピークに達するが、私が同じ歳のころは外で遊んでばかりいたし、勉強づくしということはそれほどなかった。私の場合は公立中学校へ進学しているので条件が違うが、小学校の頃は思う存分遊んでも良いのではないだろうか。たしかに、子を思う親の気持ちはわかるが、勉強づくしの子供に親の気持ちはわからないだろう。もっといっぱい遊ばせることも大切ではないか。

教師と生徒の間には隔たりがある。最近の先生は生徒のことを知らな過ぎるだろう。それよりも、先生に知る能力が無いように思う。マスコミで少年が罪を犯したりすると『〜普通の生徒に見えたのに…』などのコメントをよく耳にする。何が普通の生徒なのだろうか、どんな生徒が普通なのだろうか。この点で言えば「普通」を勝手に作り上げている大人、ここで言う教師が問題である。逆に考えてみると、普通ではない生徒は、より非行に走る可能性がある。遊ぶ時間もない近頃の子供に、遊ぶための時間や余暇の時間を増やすため、学校週5日制が始まった。現在は、完全ではなく月2回となっているが、今後完全化がはかられるであろう。これは、教師のとってはより忙しくなってしまう。今までのカリキュラムは一週間に6日授業がある事が前提で作られている。それでも学年末までに終わらないことがしばしあった。これを一週間に5日の授業ではこなすことができない。文部省などは、カリキュラムの見直しを行って対応できるだろうと考えているが、実際現場に立つ教師は非常に忙しくなってしまう。その結果、生徒とのコミュニケーションの時間も減ってしまう。コミュニケーションが減ると生徒のことを詳しく知る時間は無くなってしまう。その結果が前述の『〜普通の生徒に見えたのに…』という認識なのである。きちんと生徒のことをわかってあげられる先生は少ないのである。非行に走ったりする子供も頼れる大人がいないと嘆くことが多いのも、そんな現状だからである。

学校教育が青少年の発達に及ぼす影響は、様々な要因がある。しかし、学校教育では大人である先生がもっと子供のこのと理解する必要があるだろう。最近の先生は生徒を知らなすぎるのである。文部省などがいう「教育改革」。この中の学校5日制や中高一貫教育がはたして先生の生徒に対する変化を生むことができるのであろうか。それよりも大切な事は、生徒と先生のコミュニケーションの再認識ではないだろうか。これらが改善されれば、青少年の発達の重要なときによい体験ができるはずである。






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